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座右の銘「一生は一回」
「信は、真に通づる」
第一回目の人生
京都西陣の紋屋(織物紋意匠師)に生まれて、何不自由なく育ち、
私立花園高校卒業後、特に決めるともなく家業の見習を始める。
一年後父(心筋梗塞にて)亡くなる。
その2年後、10年あまり寝たきりの祖父老衰でなくなる。

そのころは西陣のぼんぼん(自分では最も嫌いな呼び方)で
好き放題遊んでた!?
いつまでもフラフラしていてもと、24歳の時人並みに結婚。

長女・亜希子、長男・優に恵まれ、仕事もそれなりに業界では、
一目おかれるようになった。
32歳のとき、当時の理事長に推薦され、業界でも最年少の理事となった。

業界でのリーダーシップを発揮し、精力的に業界の刷新に取り組み、
青年部の育成、新事業の立案等に奔走。

和装業界の不況は、ボディーブローのようにジワリジワリと、
市場の和装離れ、地域問屋と室町問屋との過剰な差益、
5万で織屋(メーカー)が出荷したものを小売店の店頭では、
100万を公然と行ってきたつけ、が、制作者(現場の職人)に
諸にダメージとしてやってきた、不毛の時代・・・
そんなとき業界いや西陣の歴史のターニングポイントとなる、
コンピュータの導入の話が入る。

そのころ1台2000万円もする、スーパーマシンを扱えるものがいなかった。
そこで成行き上、自社で導入、試行錯誤しながら高齢者の多い業界で
使いやすい操作とソフト開発をメーカーにソフトのオーダーすると共に
日夜、自分でも画面に向かった。

業界の高齢者が使いやすい、マシンとするため、
業界用語をエンジニアに伝え、この用語でこのソフトを動かす、
また、エンジニアの専門用語を高齢者に通訳することのなる。

(ちなみにそのころの世間では、「ソフト」と言う意味が「柔らかいもの」?
「ハードが硬いモノ」と、平気で思う人がほとんどの時代でした。)

そんな機械との闘いで自暴自棄!?状態、頭の中が真っ白
有るのは数字だらけの自分に対し、妻が子供が学校で
いじめられていると訴えてきた、らしい(後から聞いて分かったこと)?
機械に人間が使われる!!正にその状態だった。

人の意見や相談など聞く耳もたない。いや持てない状態だった。


そのころ機械扱いは業界一となったが、妻をいや家庭生活を
扱うことは、誰よりも…人間的に下手になっていた。
その他、色々あり・・・
そして・・・離別。

第二回目の人生
当然世間的にも、顔向けできないぐらいの恥ずかしさと、
信じてきた妻との別れで、人間として最低の生き方・・・
ただ無駄に時間を過ごす、なにを考えるでもなく・・・。
自暴自棄と言う言葉は、この時期に合う言葉でしょうか!?
約2年間。

その二年後に友達からスキーに誘われた、それまで2年以前
今までは普通に滑れてたフラットな斜面で、突然倒れる!
起き上がっても、起き上がっても・・・。
筋力が落ちているだけではない、精神的に落ちている・・・

顔と頭が雪にくっいたとき、一体いま自分は何をしているんだっ!
今まで何のために生きてきたのだろうかって!?
それまでの空虚な時間が走馬灯のように
駆け巡った・・・
冷たい雪に知らされた思いであった。
その時、気持ちの中で何かが叫んだ・・・
「一生は一回なんだって!」
たしかに・・・その時多分!?
そこから二回目の自分がスタート!!以前の自分は、
・・・リセットされた・・・
その瞬間から人間が180度変わった!

まず体を鍛える!新しく開いたスポーツジムに、さっそく登録
肉体的にも精神的にも以前より増してパワーが、付いたように思える!?

第二章
その頃ちょうど、京都商工会議所のパーティで当時ワコールの会長
塚本幸一氏と同席することとなった。氏は、同会議所の会頭でも有ったので
恐れを知らず、会頭になぜ内には青年部は無いのですかと、質問した、

その時確かに会頭の顔が変わった、君名前は、中々良いこと言うね・・・
その時は、それで終わった。
しかし・・・それは半年に起こった、会議所所長から電話があり、
直々にお話がしたいと、それは自分の運命を大きく変えるプロローグでもあった。
・・・続きは・・・
自分の生き方くらい 自分で決めないとね!
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